この記事では、母の介護を支える中で見えてきた夫との決定的な価値観のズレと、それにより私が離婚を決意するまでの過程を綴ります。
母の介護と支えにならなかった夫
母の病状が悪化し、精神的にも追い詰められていた私を支えてくれたのは、姉と父だった。
一方で夫は「大丈夫?」と言いながら会社へ行くだけ。
「何が起こっているのか?」「どんなことが心配なのか?」悩んでいたふく子の心情を確認することは一度もなかった。
ふく子は最初から夫に期待をしていなかったのかもしれない。
そんな虚しさを抱えている中、母は夜になると何百回も部屋のスイッチをつけたり消したりしていた。
物が見つからないと「私を狂わせようとしている」と騒ぎ出した。
母は良い状態と悪い状態の繰り返しの人だった。
良い状態が続いても、やはり悪い状態に戻ってしまう。
ずっと悪い状態であったなら、割り切れていたかもしれない。
普通の母でも再び悪い状態に戻ってきてしまうということがふく子に絶望感をもたらした。
ふく子はあの時期は精神的に限界だった。
そんな時、呆然とリビングにしゃがみこんでいるふく子に向かって夫はこう言った。
「大丈夫?俺のお母さんじゃないからさ」
と半笑いを浮かべながら言い残し、会社にでかけていった。
この言葉は、ふく子の心を凍りつかせるのに十分だった。
ふく子の耳には 「俺には関係ないから、自分でなんとかして」 としか聞こえなかった。
この時ふく子は心の中で決めた。
夫の母親が同じ状況になったら、私はこう言おう。「私の母親じゃないから」と。
ふく子の中で、夫への気持ちは確実に離れていった。
夫の無謀な挑戦…第二の反乱
夫には糖尿病という持病があり、その影響で目の血管が詰まり、眼圧が上がる状態だった時がある。
片目はすでに手術済みだったが、彼は車の運転を続けた。
ふく子は何度も 「視野が狭くなっているのだから運転はやめてほしい」 と注意した。
しかし夫は 「俺は事故を起こしたことがない」 と過信し、聞く耳を持たなかった。
そんな夫に転勤の話が持ち上がった。
社内結婚だったふく子は移動先の店の状況は良く理解していた。
ふく子は「目が悪いことを理由に断るべき」と助言した。
しかし、夫は 「大丈夫」 と楽観的に考え、結局転勤を受け入れた。
そして… 予想通り、夫は失敗した。
転勤先の業績は悪化し、赤字を出すことに。
すると、夫は突如 「起業する!」 と再び言い出す。
「俺はハンドルを握る仕事がしたい!」
これまでも夫は仕事がうまくいかないと逃げ出そうとしてきた。
そんな彼の口から出るのは 夢物語 ばかりだった。
その気持ちは、ふく子は頭では理解することはできた。
会社という環境の中で自分の限界を見てしまったのだろう。
夫は会社から逃げてもいいとも思っていた。
ふく子は「起業するなら、まずは計画を立てるべき」と伝えた。
夫の話には自分軸がない。誰かにいい様に説明をされているのではないか?と。
そこを突っ込んで質問したところで、夫は答えられない。
仕舞には怒り出し、子どものような喧嘩のやり取りをすることになった。
ふく子は今の会社で定年まで勤めて欲しいと懇願した。
そんなやり取りが4か月続いた。
最終的に夫は 「やりたいことやってるときはアドレナリンが出るんだよ!!!」 と叫んだ。
夫は考えを変えなかった。
この瞬間、私の中で 何かが弾けた。
この人は家族のことなんて何も考えていない。自分の楽しいことしか頭にない。
その時はそう思った。そうでないこともどこかで分かっていたが、話し合いにならないところが
ふく子を孤独にさせていった。
ついに家族解散を宣言

ついにふく子は子どもたちの前で高々と宣言をした。
「勝手にしろ!私はお前の人生についていかない。この家族は解散する!!」
しかし、子どもたちはテレビを見ながら笑っていた。
「またパパがママを怒らせている」くらいにしか思っていなかったのかもしれない。
ふく子は家庭内の環境には気を使っていた。
どんなに悩んでいたとしても、子どもは笑わせていた。
ふく子が病んでいたとは子どもは気づかなかっただろう。
怒りが最高潮に達した私は、笑いが止まらなくなった。過度にアドレナリンが出たみたいだった。
これは初体験だった。怒りの最頂点は笑いなのだと学んだ。
ふく子は夫に告げた。
「人生は一回きり。あなたのやりたいことをやってください。ですが私はそれについては行きません。お互いの人生を大事にしましょう。」
そして、この瞬間、私は完全に吹っ切れた。
10年かけて積み重なった夫への不満は もう修正が利かないレベル になっていた。
この経験で学んだこと
1.人は「限界だ」と感じた瞬間にこそ、本音があふれ出る
極限状態で出た夫の言葉と、自分の反応が、本当の気持ちを浮かび上がらせた瞬間だった。
2.どれだけ努力しても、価値観が大きくズレている相手とは人生を共有できない
対話と理解を求めていたけれど、根本の軸が違えば交わらないという現実を思い知った。
3.「自分の人生を生きる」と決めたとき、人はようやく前に進み始める
依存ではなく選択。自分の意志で立つことの大切さを、深く体感した。
離婚を決意したふく子が次に考えたのは、「現実的な生活の土台」をどう築くかということでした。家を出る準備、母の介護、子どもたちの生活。多くのハードルを前に、ふく子はある決断を下します——。 次回は、離婚に向けて選んだ仕事と、その裏にあった現実的な戦略について綴ります。
次回予告:離婚に向けて選んだ仕事|プロローグ⑥
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