色との出会いが、自分の可能性を広げてくれた—— この記事では、ふく子が “手に職をつける” という目標のもと、色彩の世界に足を踏み入れた体験と、地域活動へと広がった軌跡を綴ります。
色の勉強を始めたきっかけ|姉のアドバイスが転機に
夫の反乱の後、ふく子は姉のアドバイスを受け、色の勉強を始めることを決意した。
当時は、収益化を目的としていたわけではなく「私にはこれができる!」と自信を持てる専門知識が欲しかった のかもしれない。
色というのはパーソナルカラー診断ができるというもので、その時にそういったものがあるのだと知った。
また、パーソナルカラー診断は似合う色を提案するものだが、色の知識は幅広い分野で活かせるという期待もあった。
その学びはふく子にとって、とても刺激的なものだった。
育児と学びの両立|色彩検定1級を取得

当時のふく子は、3人の子どもを育てながらの生活。
可愛い盛りではあったが、育児は思い通りにならないことばかり。
そんな中で「自分らしい時間を持ちたい」 という思いが、色の勉強を後押ししていたのかもしれない。
母の協力もあり、姉の知人が運営するスクールで1年間パーソナルカラー診断のノウハウを学んだ。
講座の経験も積み、さらに色彩検定1級を取得。
しかし、その過程でふく子はプチ起業家との関わりが苦痛になっていった。
プチ起業家との違和感|40万円の自己投資と方向転換
学びを深めていく中で、ふく子にはどうしても馴染めないものがあった。
人脈作りのためのお食事会、自己プロデュースを競うようなイベント……
「人脈が大事」と言われても、自由時間もお金も限られるふく子にとって、こうした交流は精神的に重たかった。
今振り返れば、自分の中に「何のためにやっているのか」という明確な目標が欠けていたからかもしれない。
結果、ふく子は師匠のもとを離れた。
けれど「学んだ知識を無駄にしたくない」という思いは強く、個人でできる範囲での活動を模索するようになる。
そう思ったふく子は、できる範囲で個人活動を始めることを決意する。
HPを立ち上げるも思わぬ壁に|地域での活動へシフト
個人で活動するために、ホームページを立ち上げた。
最初はサイトが検索結果に上がりやすかったのか、問い合わせもあったが、次第にお客様との日程調整が難しくなる。
さらに、サロンを持たないふく子はお客様の対応に限界があると気づく。
カラー診断をするにはスーツケース一個分の荷物を運ばなければならなかった。
お客様の自宅に訪問するか、レンタルスペースを使うか、課題がそれぞれにあった。
そこで、ふく子は方向性を変え「地域で講座を軸に活動する」 ことを決意した。
カルチャーセンターから始まり、とある老人福祉センターの館長のアドバイスもあり
市の生涯学習センターの講師登録を行い、地道な営業活動を始めた。
その結果、
・ 地域の施設から講座依頼が来るようになる
・ 口コミで広がり、純利益で20万円を稼いだ年も
こうして、ふく子の地域密着型のカラー講座活動がスタートした。
だがこれもコロナが来襲したことで活動自粛を余儀なくされることになる。
新たな挑戦|セルフマツエクに手を出すも撤退
お似合いの色を提案するだけでは単価を上げるのが難しいと考えたふく子。
そこで、ネットで見つけた「セルフマツエク」に挑戦。
しかし…
・ 協会の傘下に入るため、料金設定の自由度が低い
・ 在庫を抱えるリスク
・Amazonで安価な類似商品を発見し、商売として成立しないと判断
結果、9万円の投資に対し、売上は5万円ほど。
まつ毛への負担も気になり、自分でも使わなくなったことで、潔く撤退することにした。
「色の感覚」の違いに気づく|講座での学び
地域の講座を続ける中で、「色の捉え方は人によって大きく違う」 ことを実感する。
例えば…
・ 「赤は暖色」と言われても、「赤に暖かみを感じない人」がいる
・「春をイメージする配色を考えてください」と言っても、「春に着たい服」の色が出てくる
「色の感覚は個人差が大きい」 という新たな発見が、ふく子の考えを変えていった。
講座での失敗|言葉の影響力を痛感
ある講座で、ふく子は受講者の「挑戦したい色」の配色ワークで足した色たちに違和感を覚え、無意識にこう聞いてしまった。
彼女は受講中、とても明るく楽しい雰囲気に包まれている人だった。
そういう人がいてくれると講座の雰囲気を構築しやすい。
その彼女が出した配色はモノトーンと指し色に少しの穏やかな山吹色。
全体の印象が暗い配色で、それまでのワークを経て、彼女がその配色をしたことに違和感があった。
「○○さん、本当にこの色が着てみたい?」
すると、彼女は自分が出した色たちを観て、少し考えた後、こう言った。
「先生、実は先日…飼っていた犬が亡くなったんです」
ふく子はその瞬間、「言ってはいけないことを言ってしまった」と感じた。
もしかすると、彼女は無意識に悲しみを配色に反映していたのかもしれない。
もしくは、ふく子の言葉によって「悲しみ=暗い色」という意味づけが生まれてしまったのではないか。
このことに限らず、受講者の配色ワークの違和感というのは「個性」と捉え、この経験から、ふく子は講座の進め方を変えることにした。
「参加者がどのように色を捉えているのか?」 を理解するために、次のワークを取り入れる。
「自分を色に例えるなら何色か?なぜその色を選んだのか皆さんに教えてください」
このワークを通じて、受講者が持つ個々の色の感覚を掴みながら、楽しい時間を提供できるように努めた。
父親の影響で心理学に興味を持つ
ふく子の父は、かつて姓名判断士として活動していた。
しかし、その実態は占いというよりカウンセリングに近かった。
色んな書物を読んで勉強をしている人で、妙にオーラがある。
父の青年期は家庭環境が複雑で苦労が多かった。
多彩な経験値が成せるものかもしれないと思っている。
結果、父が自然と引き寄せてしまう人は占いを楽しみたい人ではなく、心の闇を抱えている人がくる。
父がその扉を開いてしまうのかもしれない。
「助けられた」と感じた人が次の人を紹介するので、カウンセラーのようになってしまったのではないかと想像をする。
父は24時間連絡をしてくるお客様を抱え込むのが心身共に疲れていき、その生業をやめた。
共感力が高いがゆえに人の悩みを抱えきれなくなっていったのだろう。
そんな父の話はとても興味深いものばかりだった。
色から得た経験と父の話をたくさん聞いたことで、ふく子は「人の心の動き」に興味を持ち始める。
「色と心理学は深くつながっているのでは?」
そう考えたふく子は、通信大学の心理学部への入学を決意するのだった。
この経験から学んだこと
- 知識や資格は、自信と行動の原動力になる
色彩の勉強を通して「自分にはこれができる」と思える感覚が初めて芽生え、人生に前向きな変化をもたらした。 - 人の感覚はひとつではなく、正解も一つではない
色の感じ方や選び方に“個性”があると知ったことで、人の多様性を尊重する姿勢が自然と育まれた。 - うまくいかなかった経験も、次への軌道修正になる
マツエク事業の撤退や講座での失敗も「何が自分に合うか」を知るための大切なプロセスだったと感じられたこと。
次回は、ふく子が通信制大学で心理学を学び始めた理由と、その中で向き合った“自分自身の課題”について綴ります。
次回:通信大学心理学部に入学する|プロローグ③
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